2025/11/03 18:08

世界の幸福の理から、少しずつ、確実に、自分の意思で、自分の足で、遠のいてゆくことで、日々積み重なっていく確かな幸福の実感と寂しさ。

 

舌先で、一般に定義された幸福の表層の表層だけを舐めとっていくような会話をすることが出来ないわけではない。けれど、わたしがほんとうに口に出したいのは、この、ささやかすぎる、例えば、可愛い石ころの上にこびりつく秩序なき紋様を見て、綺麗な曲線を描く卵の輪郭を見て、抜け飛んでゆく白い犬の毛の漂う軌道を見て感じる幸福の方であって、それを分かち合うのは、少しだけ難しい。

恥ずかしい。馬鹿みたい。

 

人と話したあと、また、一人きりの部屋に戻って、掃除をし、ご飯を作り、身だしなみを整え、明日からの仕事に備える。

一人きりの、真っ白で、平穏な時間を、また、一から形作っていく。

朝が来ると、家を出て、バスに乗り、この完璧な朝を構成する最も重要な要素である眩しい陽光を見て、浴びて、身の内側から出てくる幸福の実感を得て、

それは、じわじわと魂の皮を食い破って、言葉よりも先に涙になる。

幸せと寂しさはものすごく近いところにいる。

 

手のひらの中の太陽。春の訪れ。五穀の苗がすくすくと伸び、尊きところにまで昇ってゆくのを、人間であるわたしは、いつまでも、いつまでも、下から眺めているばかり。

神様からの言葉をきちんと心にしまい込んで、また、白い白い日常に帰ってゆく。